親から「戻ってきてほしい」と言われたら…なんて返事をしますか( ..)φ 私は…

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のっけから、鮭のハラミといくらの親子丼ししとう添え

ブログ仲間のしげくんの鮭釣り名人のおかげで、昨日の夕食はホクホクじゃがいもの味噌汁もプラスし、
ざ・ほっかいどーって感じになりました

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お昼は、北見の西から東へ移転した「クリシュナ」(北海道北見市大町15−1)へ

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「これは何だ、何なんだ」なんてギャグのつもりなのか、ナンを手に父のつぶやき。

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父、ナンが気に入ったようで、次回はライスなしでナンだけにするって。
ナンだけにすると、ご飯がなくなった分、大きなナンにしてくれるそうです

このボリュームで、食後にチャイがついて、クリシュナBランチ880円は安いわあ
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しかも、増税後も値上げしない宣言が入り口に貼られていた

KITAMI SUN(北見さん)たちも大満足
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話変わりまして…

10月12日、こんな舞台がありますの。

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札幌を拠点にラジオのパーソナリティとして活躍されている安達裕子さんからお知らせいただいて知ったのですけど、この舞台の脚本の元になったのは、「北見柏陽高校の現役3年生の提案の演目で決定:素晴らしいプレゼンだったそうな」とのこと

北見柏陽高校…実は、私の母校でありまする

で、その現役高校3年生のプレゼンをもとに、劇団イナダ組のイナダさんが書き下ろした北見を舞台にした舞台なのですわ
劇団イナダ組とは、大泉洋さんも昔所属していたという札幌拠点に活躍されている劇団。
気になった方はネットでチェックしてみてね

で、その書き下ろされた舞台のあらすじは…
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おおおおおっ

私も東京や千葉でずーっと生活して、そのまま関東で骨埋めるつもりだったけど、父親が難病にかかってしまっているとわかって3年悩んで北見へ帰ってきた経緯がある。
とてつもなく気になる内容

私の場合は「戻ってきてほしい」と言われて戻ってきたわけではない。
父は、自分のために子どもを犠牲にしたくないという気持ちが強かったため、私が戻ってくると言ったとき「ダメだ!」と怒鳴ったくらい。
怒鳴られたの初めてだった。

これは近所の人も予想していて、「姉ちゃん帰ってくるといっても、お父さん受け入れないと思うよ。」と言われていたから、すごく念入りに計画立てて私が戻ってきて一緒に住むことを承諾させたの。
そのことについては、まだ千葉にいた2017年6月7日にログしていたんだけど、追記にコピーしておこうっと
気になる方は、のちほど読んでみてくださいまし。

ということで、私の場合、「戻ってきてほしい」とは言われていないどころか、「戻ってくるな!」と言われていたわけで。
戻ってくるなと言われている中で、どういう選択が自分にいいのかと3年間たっぷり悩みに悩んだ末、すっきり答えがでたから北見へ移住してきた。

もし、
「戻ってきてほしい」と突然言われたらなんて答えていたのだろう???
想像だけど…「いや~…すぐには無理だわ。寒いと体調崩しし。」って答えていた確率90%って思う。

そういった観点と現役高校3年生が何を感じたのか知りたい気持ちで、私はこの舞台の展開をとてつもなく観たいのであります

そして、「北見にいたってなんにもない。仕方ないから、都会へ出なさい。」とお子さんに言っているお父さん、お母さん、ぜひともお子さんと一緒に見てほしい…なんて思います。

北見からお子さんを出さないでということを言いたいのではなく、いろんな選択肢があるんだということを舞台を通して知ってほしいなって思うんです。

私が帰ってくる決心がついたのは、もちろん父のことがあったからですが、私の生活圏において外国の方と電車の事故が増えたことや、地震や台風などのことも要素となりました。
あくまで要素です。
逆に今後北海道から関東へ移り住むことになるとしたら、やっぱり寒いのは苦手だ~冬道の運転が怖い~というのが大きな要素となると思います。

100%手放しで良いところしかない地域というのはなかなかないわけで、何かを立てれば何かを我慢しなくてはならなくなるのは仕方ないです。
逆にいえば、田舎だろうと都会だろうと住んでいるところの良いところだけピックアップすることもできるわけです

田舎は何もなくて都会へいけばなにかある

…はずなのに、パッとしない自分…
このままじゃ…

都会へ行った自慢の子どもという親の期待に押しつぶされて、帰りたいのに帰れないと泣いている人もいるんです。

都会へいってもいい、帰りたくなったらいつでも帰ってくればいい、お父さんもお母さんも、帰ってきてほしいなと思ったときはそう言うから、そのときはあなたの言葉で返事をちょうだい いろいろなことを知った上であなたが決めたらいいの

そんな感じで都会へ送り出してほしいなって思います。




…あ。
こういう話しだすと私一晩中でも話しちゃうのでこのあたりで切り上げまして…


「都会へ出ていくってどういうことなんだろう?」って気になった方はご覧になってみてはいかがでしょうか


詳しくはコチラ。

安達裕子さんのFacebookページでも紹介されています。


自分でも思いがけず熱が入っちゃって久しぶりに長い記事になってしまいましたが…よろしければ、「読んだよ~」元気玉ぽちっとしていただけると、今日の夜勤のためあわてて寝ます~



~2017年6月7日の日記(北海道へ帰ってくるなという父を説得した話)~

今朝の体重67.6kg 体脂肪率36.6%

昨日とまったく同じ…体重維持装置がかかったか??
トイレ行ったあと、机に手をついて、片足ずつ足を上へ曲げて10回ずつ振り上げるアプローチ昨日から開始。
これから1日ひとつずつ日常のクセづけアプローチを増やしていく気持ちでいこうっと

引越まで17日 関東生活終りで北海道人になるまで24日


昨日、北海道に住もうって思ったきっかけを書いた。

今日は父にそのことを伝えた流れを書き残しておこうと思ったんだけど、また長くなるじょ


北海道に住もうって決めるまで、いろんな葛藤があった。

なんせ私ったら、北海道に住むのは嫌だとずっと家族や友達に言っていたし、寒がりだし。

最初は、関東で父の残りの人生を一緒に過ごしたいって思ったんだ。

父は一人暮らしより二人のほうがリハビリになり、障害が出ている言語だって歩行だって悪くなるのを遅らせることができる可能性が高い。


去年の7月、父に千葉へ来ないかと誘ってみた。

病院だっていっぱいあるし、千葉は気候が穏やかだし、今住んでいるところはのどかなところだよ?と真面目に誘ってみた。

でも玉砕 


実家の隣のお宅のご夫妻はチョコチョコ父の様子を見に来てくださるので、いつもお土産を買っていく。

お土産を渡しながら奥さんに、まだ決めていないから父に言っていないんですけど来年帰ってこようかと検討しているんですと伝えたところ、

「あら。あらあら。それはいいと思うけど…でもね~、お父さんどうかね~。

前にね、お姉ちゃん帰ってこないのかいって聞いたら、すごく寒がりだし、あいつはあいつのやりたい仕事があるし、こっちで仕事探すのも大変だろうから来ないってハッキリ言っていたんだわ。

あっちから仕事持ってこれないのかい?」と言われた。


隣の奥さんにそんな話をしていたとは…手放しで「よかったね~」で終わらなかった奥さんの話。

ん~。。。父の性格考えると、私が普通に帰ってくるって話しても、千葉に来ないかい?って誘ったときのように普通に断られると思った。

こりゃグッドタイミングに1発で決めないともつれると覚悟した。


父とのことブログでは楽しいところばかり載せているけどそれは私がたまに会うからであって、一緒に生活すると意外に父の性格は面倒くさい。

その面倒くさいところは妹が引き受けていて、妹はいつもきりきり父に怒りまくってる。

まあ、それは生前の母の役割だったからそれはそれで昔からの日常、私はたまにくるお客さん役で父を楽しませて妹を楽しませてバランスをとってきた。


そのお客さん役をやめて私が一緒に住むと言ったら、父の反応はどうだろう。。。


母が倒れるまで、父と、私と妹は仲が良くなかった。…外面仲良しで、ケンカしないようにお互い大人の付き合いをしてきたって感じ。

たまに父のカチンとくる言葉に、私がすんごいキレて責めたてて、妹と母になだめられることも多々あった。


仲良くなったのは、2009年母が倒れて父が歩み寄ってきてからだ。

それまでは「女の運転する車なんか乗れるか」なんて失礼なこと言っていたのに、私や妹が運転する車に乗るようになったところから始まった。

父って穏やかなんだけど、穏やかにとんでもないこと言う人だった。

私が北海道へ帰らなかった理由…父と一緒に住んだらケンカだらけになると思っていたのも理由のひとつ。

ケンカというか、私が一人キレまくる感じが想像できていた。

私は覚えていないが、母が生きていた頃、そのことハッキリ伝えたかも知れない。

そんないきさつもあって、父は私が帰ってくるのも、妹夫婦と一緒に住むのも嫌だと思ったのだろう。


でも、母が亡くなって7年。

しゃべりかたが変だ、ろれつが回っていないよ?と近所の人に言われて病院行って、脊髄小脳変性症と診断されて5年くらいになるのかな?

一人暮らしでよく頑張ってきたよ、もう昔のいざこざは忘れようよ。

母とは心通う家族付き合いできていたけど、それに比べたら父との付き合いって薄かった。

きっと神様がくれた仲良く過ごす時間なんだよ。

あーダメだ、父にそんなことストレートに言っても変なとこ頑固だから、一緒に住むなんて納得しそうにない。

なんと言えば一発で仕留められる?か、ずっと悩んでいた。


今年の1月北海道へ帰っていたとき、夕食後父がよろめいて転びそうになった。

セーフだったので「あぶなかったね~、ご飯のあとは胃腸に血がいって脳がぼーっとしてるんだからおとなしくしてなさいよ~」って笑って終わった。

笑いが落ち着いた頃、ラジオから流れていたニュースが自然と耳に入ってきた。

2020年、文部科学省は小学校でのプログラミング教育を必修化することを検討していますが…

これだ!と思った。

「ねえねえ。私今年の10月までに、ここに住もうと思うんだけど。」と切り出した。

すると、さっきまで和やかな夕食後タイムを過ごしていたのに、言語に障害が出ている父なのに、すごくはっきりした口調で

「なんでよ!ダメだ!」と怒鳴った。

想像以上のすんごい拒絶対応だった。

私、父に怒鳴られたのこれが初めてだったわよ。

怒鳴られてカチンときた私は思わず

「よれよれしてっからよ!」と怒鳴り返した。

父は少し驚いたようにかたまった。

「まあ、よれよれはいつものことだからおいといて…

あのね、今ラジオでも言っていたように、小学生からプログラミングが必修化される動きになってるの。

そこで問題なのが、プログラミング授業ができる小学校の先生が各地方足りているかってとこなの。

ってことは、そのための研修や講習がおこなわれるはず。

もしくはその授業のときだけの講師を呼ぶか。

2020年スタートなわけだから今年から準備しとかんと。

なんにせよ、今がチャンスで来年になったら出遅れだわ。

北見市のホームページみたけど、今、北見市自体が市をあげてITに力入れている。

テレワークって知ってる?それを利用した東京のベンチャー企業も北見市にオフィスをかまえだしている。

働き方改革がなんちゃら…、サテライトオフィスがなんちゃら…、AIが…VRが…ビッグデータがなんちゃらかんちゃら…」

という感じで10分はしゃべり倒した。

おそらくこの言葉は父にはちんぷんかんぷんだろうってカタカナや英単語キーワードをたくさん盛り込んで話倒した。

「ということで、どうせ使っていない2階を私の仕事場にしていいか?

私がやりたいことで独立するなら東京じゃダメなのよ、北見じゃなきゃってことなんだけど、ダメ?」でしめくくった。

父のために帰ってくるのではない、私の仕事のチャンスのために2階を貸してくれっていうスタンスにした。

父は、

「お、おう。」と言った。

う~ん、最後の言い回し間違えた。

ダメ?とこっちが聞いて、お、おうっていうのは、いいのかダメなのか微妙だ。

いいでしょう?って言えばよかったとちょっと反省


少しシーンとして、父が、

「俺も姉ちゃんと話していたら言葉の意味たくさん教えてもらってIT人になれるなとおどけて言い出した。

これはもう、オッケーということでしょう

やったー、話通った~と嬉しくなって、翌日さっそく隣の奥さんに報告した

奥さんは、よかったね~でもお父さんいろいろ考える人だから気が変わらなければいいけどね~と言った。


ちょっと私も不安になり、お隣さんから戻ってきてから

「父さんの年金あてにしてるんだから長生きしてよねと冗談言ってみた。

父、

「おう!」と力強く即答だった。



私、プログラミングなんてまったくできないけど、小学生からプログラミング必修化計画のおかげで父を納得させられた~、文部科学省ありがとう~(>∀<)

北見市が市をあげてIT特にテレワークに力入れだし、東京からベンチャー企業誘致しているのも本当だし、3月に東京でやっていた北見市主催のテレワークセミナーも出てみたし。

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実際北見市って私のシュウカツ(就活?終活?ま、どっちでもいいわ)の場としておもしろそうじゃんって思ったわ

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